ケン・ロイドは、ロンドンにて、英国人の父と日本人の母の間に生まれた。父親がクラシック好きで、家にあったレコードや、『マペット・ショー』(英国で人気の子供向けの人形劇番組)の音楽に親しんで育つ。

小学校5年生に上がる時、立教大学が英国在住の日本人の子弟のために作った全寮制の学校に入る。
そこで出会った中高生の先輩たちと親しくなって、ロックと出会い、中1あたりから本格的に音楽を聴くようになる。日本語がまったく話せない状態にあるKENにとって、音楽は人とのコミュニケーション・ツールであり、心の拠り所であったゆえに、なくてはならないものになっていく。なお、ギターを初めて手にしたのもその寮である。

 そんなKENの音楽の聴き方は、中学校生活の終わりにアメリカン・スクールに移ったことで大きく変わる。ある部屋からはPublic Enemy、別の部屋からはREM、また別の部屋からはデビューしたばかりのNINE INCH NAILSやNIRVANA──というふうに、寮がそのままカレッジ・チャートのような状態だったのだ。
その影響で聴く音楽が大きく広がる。特に熱中したのはパンキッシュで攻撃的なMANIC STREET PREACHERS。他には、メランコリックなThe Church、CURE、オルタナ系のFAITH NO MORE、STONE TEMPLE PILOTS、JELLYFISHなど。週末は熱心にライブに通うようになる。
そんな音楽にどっぷり浸かった生活を送りながら、同級生とバンドで音を出したり、MTRを買って曲を作ったりはしていたが、それらはあくまで遊びの範囲であり本格的に音楽をやるつもりはなかった。ロンドンで「ミュージシャンは生活が大変、将来も夢もない」という話ばかりを耳にしていたため、その道に進む気がなかった。

というわけで、自由な高校生活を送りながらもロンドンと東京とシアトルの大学に合格。自分のルーツの半分である日本に一度住んでみてから、途中でシアトルに移るつもりで、東京の大学に進学。来日する。

 

入学してすぐ、生活費を稼ぐ為に六本木の老舗クラブでアルバイトを始める。その常連客に「ミュージシャンっぽいね、俺の知り合いがボーカル探してるんだけど、歌える?」と声をかけられ、「もちろん歌えるよ」「デモテープある?」「あるある」と勢いで答える。明け方に帰宅してすぐ2曲デモを作りその日の夜に渡したところ、それがOBLIVION DUSTのオリジナル・メンバーのドラマーに渡ることになる。
「ライブ経験は?」「ある」「レコーディングは?」「あるある」と嘘八百を重ね、一回ライブをやってみることになり、そのライブにエイベックスのスタッフたちとhideが来ており、そのバンド=OBLIVION DUSTでデビューすることが、あっという間に決まってしまう。
当初はバンドと大学生活を両立させていたが、活動が本格化して難しくなり、休学。

OBLIVION DUSTは1997年1月にデビュー。最初のベーシストがシンプル・マインズのデレク・フォーブスだったこと、L Aでレコーディングしたファースト・アルバムのプロデューサーが、元プロフェッショナルズのレイ・マクヴェイだったことなどもあってか、”まず国内で活動してから海外へも行く”という方法でなく、”最初から同時に国内と海外で活動する”という、当時としては他に例がないバンドだった。1997年・1998年とアメリカ西海岸でツアーを行うほか、国内でもProdigyやMarilyn Mansonと共演する。
日本ではどのシーンにも属していない、よく言えば孤高の、悪く言えば浮いている存在だったが、アルバムをリリースしてツアーを行うたびに動員が伸び、4thアルバム『BUTTERFLY HEAD』リリース後のツアーの東京公演は、キャパ7,000人の東京ベイNKホールで行う。
しかし、2000年12月23日のそのライブを最後にベースのRIKIJIが脱退。半年後にバンドは解散する。結成から4年弱という短い活動期間だった。『BUTTERFLY HEAD』は、各方面から高く評価されセールスも好調だったが、その時点でメンバー間の関係性は修復不可能な状態だったという。

KENはその直前、LUNA SEAが終幕しソロ活動を行っていたINORANと親しくなる。KEN以外は既に活躍していたミュージシャンが集められたOBLIVION DUSTでは実現不可能だった、「バンド=絆で集まっている集団」という、自分の理想を実現できるのではと考え、FAKE? を結成する。
FAKE? は2002年7月にデビュー。4枚のアルバムをリリースしツアー等も精力的に行うが、2005年6月リリースの4作目『MADE WITH AIR』を最後にINORANが脱退する。
ふたりで始めたユニットであったにもかかわらず、解散ではなくひとりで続けることをKENは選んだ。FAKE? で作れる音楽がまだあること、OBLIVION DUSTを解散した時の経験で、続けることでファンの期待に応えていかなければならないと感じていたことなどが理由だという。


2007年、OBLIVION DUSTが再結成を果たす。K.A.ZにFAKE? の曲のリミックスを依頼したところ引き受けてくれて、その出来がすばらしかったこともあり、数年ぶりに接点ができる。
2008年1月に7年ぶりのアルバム『OBLIVION DUST』をリリースする。
以降、2012年にフルアルバム、2016年にミニアルバムと、リリースのペースはゆっくりだが、2011年以降はほぼ毎年ツアーを行うなど、ライブは精力的に動いている。

その少し前の時期から、ハウス/テクノのクラブで出会う人たちの人間性に魅力を感じていたKENは、クラブ・ミュージックのシーンにも馴染んでいく。
そこで、元SBK/The SAMOSのSHIGEO、Dragon Ashの桜井誠、BEAT CRUSADERSのケイタイモの4人で、ATOM ON SPHEREを結成。2011年にデビューする。SHIGEOが提示した音楽性が自身のどのバンドとも重ならないものだったため、バンドの参加に承諾したのだった。
メンバーそれぞれ他のユニットもあるため、10年間でアルバムは2作、ライブは数年おきに行う、というスローペースな活動だが、バンドは存続している。

そして2021年11月。「KEN LLOYD」名義での、初めてのソロ活動を始めることがアナウンスされた。活動のスケジュールや、音源のリリース日時等は未定だが、ソロとして最初に完成させた楽曲は、これまでKENが活動してきた、どのバンドの、どの音楽とも違う、新鮮な美しさに満ちている。ここは、本人の発言をそのまま掲載する。

「俺、もういい歳なんですよね。音楽をスタートする時に『このぐらいまではやっているだろうな』って思っていた歳を、はるかに超えていて。いつかはイギリスに戻ることも考えつつ。俺、一人っ子だから親の面倒もみないといけないし
その前に、自分の音楽キャリアを納得がいく形でストーリーとして完成させたいな、と。今までいろんな人と一緒にやって来て、一緒に作っていくことでいろいろ学んできたことを、今ならやっと、自分の音で表現できるようになって。自分のミュージシャンとしてのキャリアの集大成はソロで終わらせたいなと思ったんです。
べつに『来年で終わりにします』とか、そういう話ではなく。今までのステージ……OBLIVION DUSTがあって、次はFAKE?、もう一度オブリ、そのあとATOM ON SPHERE、と章に分かれているとすると、僕が新たに何かをするというのは、これで最後にしたい。いわゆる、これがファイナル・チャプターです」

文:兵庫慎司